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尻にしまりがなくなった。ところかまわず屁をこいで家族に笑われる。野菜を食わない、コーヒーを飲みすぎる、タバコを吸うからと非難されるのもシャクだ。「口や顔にしまりがないのは生れつき。尻にしまりがつかないのはお前らがつきまとうからだ。」と居直れば家族は呆れて遠ざかる。屁をこくのは胃潰瘍の薬を飲んでいるからだろう。ガスターという薬の名からして臭い。それはともかく尻とケツについてしまりがない話を続けたい。 中村うさぎさんの『オヤジどもよ!』(文春文庫))は「屁こきオヤジ」に1章を割いている。「世界はひとつ、オヤジもうさぎも皆兄弟!」という帯にひかれて読みだしたがハゲや肥満は別にして傲慢・卑小・恥さらし・ダメは当てはまる。そういう自虐的なのもオヤジなのだろう。指摘されるオヤジの醜態に一つひとつうなずき、含み笑いを続ければ家族は気味悪そうに遠ざかる。ホストクラブにはまるオバサンにあれこれ言われるのもシャクだけどけっこうおもしろい。尻のついでに「ケツの青さを美化するオヤジ」の締めを引用しておこう。昔少しワルだったことを自慢するのもオヤジが嫌われるもとだろう。 言っとくが、あんたのナルシシズム溢れる「俺様伝説」なんか、聞きたくもない。ホントに聞きたいのは、あんたが今現在、どんな大人であるかという自覚だ。 諸君、我々はもう「若者」とは呼んでもらえない年齢に達してしまった。つまり、我々は「大人」なのである。だが、我々に「大人」の覚悟はできているのか。揺るぎなきひとつの価値観を代表する存在として「若者」の前に立ちはだかり、彼らの怒りや不満や疑問をしっかりと受け止められるような、そんな「大人」になっているか。口先だけで逃げてはいないか。若者に媚びて、愛されようなんて思っていないか。愛されるな、畏怖されろ(←威張るって意味じゃないよ)! それが、我々「大人」たちの役割なのである。(中村うさぎ『オヤジどもよ!』(文春文庫)56頁) まあ、過激な正論でわたしはおびえる。「揺るぎなきひとつの価値観を代表する存在として「若者」の前に立ちはだかり、彼らの怒りや不満や疑問をしっかりと受け止められるような、そんな「大人」になっているか。」に至っては立派すぎて思わず尻込みし、屁をこくのも忘れた。中村さんはさぞ立派な大人を演じてきたのだろうね・・・。とはいえ、口先だけで逃げたり、若者に媚びて、愛されようなんて小細工もできないのである。自分の信じることを言いすぎて嫌われるオヤジもいることを忘れてほしくない。昔の歌を持ち出したり、おもちゃいじりのヘマを並べるのもフガイナイわたしもいる。 そんなことを言いながらも、中村さんが「自慢じゃないが放屁に関しちゃ、オヤジ並みに節操もない女なのである。だってさあ、昔から腸が弱くて、すぐ腹の中にガスが溜まっちゃう体質なんだもーん! 私だって人前で屁などこきたくないが、どんなに我慢しても、出る時ゃ出ちゃうんだよなあ。」(同書21頁)にはうなずいた。冷房の利いた本屋で思わずぷっくらしちまうわたしも同感だ。好きとか嫌いでなく出てしまうときはあるのだ。しまりがなくなったのはオヤジやオバサンだけではないのだろう。むしろ中村さんが言う「大人」や「若者」が消えてしまったのが無節操な現在ではないか。見栄と欺瞞で塗りたくり、畏怖や尊敬が骨董品になったのも時の流れだろう。 |
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