妖精に惑わされて 「サロメ」と「人魚の嘆き」
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作成日時 : 2008/04/20 10:17
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妖精というタイトルにひかれて19世紀末のアイルランド文学史(下楠昌哉著『妖精のアイルランド』平几社新書、2005年)を読み流した。妖精というから美しい女性のニンフ[nymph]を想像したら、悪魔が女性や子どもにすり替わるフェアリー[fairy]のことでがっかりした。妖精は、「西洋の童話などに出てくる、人の姿をした自然物の精霊。フェアリー」とある。ニンフは、「@ギリシャ神話で、森・泉・樹木などの精。美しい女性の姿として現われる。A美しい女性の形容。」だという。いずれも出典は旺文社国語辞典第9版による。同じように森・泉・樹木などに精霊を感じても人格と結びつかないのが日本の《カミ》だろう。でも、ニンフであれフェアリーであれ女性と結びつくのが楽しい。ともあれ、放置してあったオスカー・ワイルドの『サロメ』を読む機会だった。ワイルド(1854生−1900没)といえば芸術至上主義を唱えたアイルランド人である。彼の作品は、戯曲の『サロメ』(岩波文庫・新潮文庫)、童話の『幸福な王子』(新潮文庫)、小説の『ドリアン・グレイの肖像』(新潮文庫・光文社古典新訳文庫)の3つが翻訳されている。せっかくの機会だから買い込んで読み始めたが、『サロメ』以外はおもしろくない。わたしが芸術などというものにうといせいだろう。
岩波文庫の『サロメ』は福田恒存訳である。ビアズレーの挿絵が多数挿入されているのが新潮文庫とのちがいである。浮世絵の影響を受けたという妖艶な挿絵にひかれて買ったまま読んだこともなかった。場所はローマ帝国支配下のユダヤの宮殿。捕らわれた預言者ヨカナーンの唇にひかれる王女サロメと王のエロドや王妃エロディアスの対話劇である。エロドは兄を殺してその妻であるエロデイアと契り、サロメは兄の子である。強欲なエロドはヨカナーンを殺す気はないものの自分の背信や背徳を並べられるエロディアには煙たい。プラトニックな恋心をヨカナーンに拒まれたサロメは、自分の美しさにひかれるエロド王に彼の首を切るように望む。キリスト教徒からみれば不謹慎な作品である。ビアズレーの挿絵はそれをグロテスクに描いたものだ。とはいえ、エロド、エロデイア、サロメの三者のかけひきがおもしろい。
そこで思い出したのが谷崎潤一郎(1886生一1965没)である。東京生れで西洋にあこがれた耽美派・悪魔主義の作家だ。『痴人の愛』、『卍』、『春琴抄』、『細雪』など多数あるものの、自分の作品と矛盾する『文章読本』を書いているのがおかしい。彼は日本のワイルドと称されたこともあるようだ。彼は女性の美しさを認め、それに振り回されるバカな男を描いたふつうの男だと思う。わたしは『痴人の愛』にひかれて娘の名前にしようとして口がすべって失敗した。そのせいか娘が男に縁がないのも不憫である。男を惑わし、手玉にとる主人公のナホミにあやかればこんはことはなかっただろうに。本棚に眠っていた中公文庫の『人魚の嘆き』をひっぱり出すと挿絵がおもしろい。こちらは水島繭保布の作品で、ビアズレーの絵より丸味をおび、竹下夢二の美人画に近い。装丁や挿絵で買い込んだまま並べているだけである。『人魚の嘆き』は多額な親の遺産を引き継いで何ひとつ不自由をしない中国の貴公子を描いた作品で、あらゆる贅沢に飽きた倦怠がテーマである。その貴公子がオランダ人の持ち込んだ人魚にひかれるというのも西洋崇拝の谷崎らしい作品である。持ち込んだ男の肌に言及するのは彼の白人コンプレックスだろう。でも、それだけの内容であって『サロメ』ほどの盛り上がりは欠ける。よくできた話だけれどそうですかという印象しかない。中井英夫さんの辛辣で的確な解説がおもしろい。思想性はともあれ谷崎はおもしろい作品を残してくれた作家である。
ともあれ妖精はニンフに限る。美しい女性の代名詞で十分である。小悪魔であろうと可愛いものだ。男を惑わす美しさこそ女性に欠かせないものでないか。そんなものに惑わされるのがわたしを含めたバカな男である。バカとアホが喧々諤々(けんけんがくがく)言い争って生きているのもおもしろい。女性には泥臭くてせちがらい世界に口出ししたり、世の中を牛耳ったりしてほしくないものだ。男が女になりたがるのも目ざわりだが、女が男になりたがるのもうっとうしい。最近はA・K・Y〈あえて空気を読まない〉女性や優等生・K・Yが社会進出しておやじたちを混乱させているそうだ。アホやバカには住みづらい時代である。
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