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古本屋で日本ぺンクラブ編・大岡信選『愛の詩集 ことばよ花咲け』(集英社文庫、1984年)を探してきた。大岡さんには『集成・昭和の詩』(小学館、1995年)の編もある。たった10年の間に前者に出ていても後者に出ていない詩人がいる。岸田衿子(きしだえりこ)さんや木原孝一さんはそんな例である。それはともかく『ことばよ花咲け』をぱらぱらめくると短い詩が目についた。 星はこれいじょう 近くはならない それで 地球の草と男の子は いつも 背のびしている (岸田衿子「星はこれいじょう」全文) べランダから月に手が届きそうな夜がある。また、星に囲まれてキャンプをしているとそのまま歩いて行けそうな気になる。近づくためにはロケットに乗るしかないだろう。それを知らない子どもが触ろうとして背伸びするのも微笑ましい。今では小生意気な言葉を並べる我ケ家の子どもにもそんなときがあった。 ギリシャ神話のイカロス失墜【注】もあるが、離れたものや場所に至るためにはそれなりのエ夫や努力が欠かせない。そんな教訓を並べるためにこの詩はあるのではなかろう。むしろ後段の「地球の草と男の子は いつも 背のびしている」を言いたいために前段があるのではないか。それにしてもなぜ草や男の子なのだろう。鳥なら飛べばいい。でも地面から離れられない草は背伸びするしかない。だが男の子に限られるのが不可解なのである。冒険や挑戦だから男の子になるのだろうか。簡単に映る詩でも考え始めたらきりがない。 同じ本には「風をみた人はいなかった」も掲載されている。こちらの詩は何となく分かる。 風をみた人はいなかった 風のとおったあとばかり見えた 風のやさしさも 怒りも 砂だけが教えてくれた (岸田衿子「風をみた人はいなかった」全文) 見えないけれど確かにその形跡を残す作用や現象がある。心地よく吹く風もあれば猛威をふるう暴風もある。砂丘に残る風紋や吹き上げられた砂粒で風が通り過ぎたのを知る。人と人との付き合いや親と子の結びつきも似たようなものがある。見えなかったものがある日突然見えたりするのも不思議である。 【注】クレタ島の王の不興を買い、父子ともに塔に幽閉されたイカロスは蝋を固めて翼を作り空を飛んで脱出するものの、父の警告を忘れて高く飛びすぎ、太陽の熱で翼を結ぶ蝋がとけて墜落死する。 わたしには神から火を盗んで人間に与えたプロメテウスとこのイカロスは何かと親めるものがある。 【補記】 岸田衿子さんは幼児向けの絵本や翻訳のほかに世界名作劇場の作詞もしています。アルプスの少女ハイジ、フランダースの犬、あらいぐまラスカル、赤毛のアンなどもあるようです。妹は女優の岸日今日子、元夫は谷川俊太郎や田村隆一。詳しいことはフリ一百科事典のウィキペデイアをごらん<ださい。 ホームページの「30男の独り言・詩と詩人について」で引用した木原孝一さんは1979(昭和54)年9月に58歳で亡くなりました。本名は太田忠、東京都八王子生れだそうです。『ことばよ花咲け』には「黙示」1編が掲載されています。わたしが愛読した『現代詩入門』(飯塚書店・1977年)は入手不可のようです。http://www5f.biglobe.ne.jp/~nobu-yamada/tubuyakimokuji.html どうでもいいことですが三好達治の『詩を読む人のために』(岩波文庫、緑82-3)を読んでいます。底本は1952年6月ですから取り上げる詩人も古い人ばかりです。作品を細々と解説されるとそんな解釈もできるのかと驚く始末です。前書きに「我流にやってみなければいっこう面白くないのが詩という文芸の本来であります」にうなづき、「そばからとやかく解説などを加えてもらいたくないのがこの種の人物〔引用者注−詩を読観詩を愛する者−〕の特色」というのに苦笑しています。 |
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