|
JR三島駅前に楽寿園(らくじゅえん)という庭園中心の市立公園がある。今はもう撤去されたが沼津駅と三島田町駅を結ぶチンチン電車に乗って子どものころは何度も出向いた。元は誰かの別荘で、広い敷地には池や川のほかに動物園や乗り物もある遊園地である。春にはスミレが開花し、秋には菊まつりもあって人でにぎわった。三島駅、三島田町駅、三島大社を結ぶ一画は富士山の湧水があふれるように流れてどことなく鄙びていた。だから菊といえば三島市の楽寿園を思い出す。 『津軽』がきっかけで太宰治の『お伽草紙』を読み始めた。「清貧譚(せいひんたん)」は菊の花が大好きな三十過ぎた独身男が江戸から沼津へ苗を探しに出向き、その帰途に出会った姉弟とともに江戸へ戻り、意地を張り合いつつも一緒に暮らす物語である。美しい菊作りに精を出し、それを売り歩く弟を軽蔑しつつも清貧を通す独身男のやせ我慢に笑う。何はともあれ「二十歳くらいで、色が溶けるほど白く、姿もすっきりして」いる姉と独身男は結ばれる。 太宰がヒントにした蒲松齢の『聊斎志異(りょうさいしい)』は中国の怪奇譚である。30年以上前に、作家の安岡章太郎が自らの入生とかかわらせて堅苦しい週刊紙に連載していた。科挙に何度挑戦しても合格できなかった作者にやけに入れ込んでおかしかった。ともあれ太宰がどんな話をもとに創作したかとインターネットで『聊斎志異(りょうさいしい)』を調べたが431編あるそうで40作品のあらましを紹介するサイトをすべてクリックしたが見当らない。 「清貧譚」は趣味の虜となり一家言を持つ男が、それゆえに意固地になって貧乏になる姿をおもしろおかしく描く。沼津の帰りに一緒になった姉弟は菊の精だという落ちに加え、弟は煙のように消えても姉は人間のままという念押しも笑った。でもなぜ太宰が沼津を持ち出すのか分からない。彼が「伊豆の沼津」と書くのはよそ者だからだろう。沼津は「伊豆半島の付け根」の駿河の国である。せっかく沼津を持ち出してくれたが、菊は「伊豆の三島」とすべきではなかったのではないだろうか。三島出身の詩人で評論家の大岡信さんは苦笑したかもしれない。三島市立楽寿園のホームページを眺めながら思う。盆栽だけでなく菊で人形を作る祭りも懐かしい。 【補記】 楽寿園は明治維新で活躍した小松宮彰仁親王の別邸を昭和27年から三島市が管理運営する施設です。富士山の湧水を園内に引き込み、わたしが子どものころは水があふれていましたが湧水は減少しているようです。新幹線口からは見えませんが、昔からの駅前にあって意外に近いのに驚きます。柿田川の湧氷や三島大社に立ち寄った方はぜひ菊まつりのある11月に出向いてください。ホームページもあります。http://www.city.mishima.shizuoka.jp/rakujyu/ 太宰の『津軽』については2008/06/17の「ニつの津軽」でふれました。「汝を愛し、汝を憎む」という愛憎が絡み合うのがふるさとなのでしょうか。わたしも沼津にそういうニ面をもって接しています。ホームページの「沼津あれこれ」には2008/03/29の「沼津は干物の町じゃない」を主要統計を添えて追加しました。http://www5f.biglobe.ne.jp/~nobu-yamada/izumokuji.html 『聊斎志異(りょうさいしい)』は中国の清代の短編小説集です。作者の死後の1776年に全16巻・43l編が刊行されましたが実際はもっとあるそうです。フランツ・カフカや芥川龍之介などに影響を与え、澁澤龍彦や安岡章太郎も作品の中で触れているようです。わたしは安岡さんの落ちこぼれ解釈が記憶に残ります。安岡さんの『私説聊斎志異』(1975年)は講談社の学芸文庫にありました。 「聊斎志異目次」http://www3.starcat.ne.jp/~koten/ryosaipage/ryoumoku.html |
| << 前記事(2008/06/19) | トップへ | 後記事(2008/06/22)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/06/19) | トップへ | 後記事(2008/06/22)>> |