道楽親父の独り言

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 拓郎だけがフォ一クじゃない

<<   作成日時 : 2008/07/20 11:32   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 フォ一クと切り離せないひとりに吉田拓郎がいる。でも、日本のフォークの流れでは末期に当たり、その後の音楽の流れとも異なる。彼は音楽のほかに発言や行動にそれまでにないスタイルを示した。深夜のラジオ番組に常時出演し、エッセイで自分を語り、テレビドラマに登場し、仲間と音楽会社も設立した。歌唱力が特に優れているわけでもなく、演奏もとりたてて独創的でもない。容貌はけっして美男ではないし、髪型も陽水のアフロのように奇抜ではなかった。でも、いつでもどこでも存在を示していた。彼は言いたいことを歯に衣を着せずロにし、パートナーを何度も変えた男である。だから音楽よりも発言や振る舞いで好き嫌いを伴って語られることが多い。

 個人的なつぶやきを並べているわたしのホームページやブログは音楽関係に反応が集中する。その中でも30年前に綴ったフォークヘの思い入れは吉田拓郎に反応が集中する。これはブログにしても同様で拓郎を取り上げるたびに反応が増す。拓郎だけがフォークではないし、同じ時代にもてはやされた演奏家や歌い手(グループを含む)はもっといた。歌唱力なら赤い鳥・オフコース・アリス、音作りなら井上陽水・風・荒井由美のほうが優れていた。わたしの個人的な思い入れはかぐや姫・風・イルカに偏るもののこちらはそれほどの反応はない。だから拓郎だけにどうして反応が集中するのかわからない。

 とはいえ、なぜ拓郎に反応が集中するのだろうか。ひとつは過去の活動に対するノスタルジーだろう。彼はみずから作詞・作曲し、歌い、演奏する音楽のスタイルを示して多くの作品を残した。また、時代の寵児〔ちょうじ=アイドル〕であった。彼の行動や発言は他の世代を刺激したものの、同世代の思いを代弁する面があった。もうひとつは、闘病生活あったものの今も活動を続けている彼に対する支援や関心なのだろう。拓郎には社会批判を伴う皮肉交じりの歌もあったが、前向きに生きる親しみやすい歌もあった。

 拓郎を美化するわけでもなく、日本のフォークのひとりとして綴ったわたしのホームページやブログはその余波で反応があるのに違いない。それにしてもファンでもないわたしのサイトに寄り道してくれる方の包容力が嬉しい。拓郎に関心を持つ方は心が広いのだろう。というわけで、書いたものを今さら書き直すことができない。書いた時より関心が薄れているし、反応に媚びて美化するのはひきょうだ。好き嫌いは伴うものの曰本のフォークの中でひとつのスタイルを作り、多くの発言や行動を残し、そういうものが親しみを交えて語り継がれる歌い手のひとりにちがいない。

【追記】

 文の書き直しはやめますが、わたしのサイトの中で彼と関わるものをこれからもリンクさせて行きます。http://www5f.biglobe.ne.jp/~nobu-yamada/houkumokuji.html
 拙いホームページの反応が47,000、またブログも24万を超えました。これも皆様の包容力のおかげだと感謝します。

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文