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《時間》に気をとられてブログに手がつかない
《おもしろい》からやめられないのはゲームだけでない。作ったり、読んだり、歩いたり、考えたり、いじったり、確めることにも《おもしろさ》にある。そういうものにつまづいて寄り道し、笑われたり鼻つまみになるのも身から出た錆だ。五十肩でクルマの運転やギターいじりができなくてもヒマつぶしの夕ネは尽きない。個人的には紆余曲折にせよ、過去・現在・未来と直線や螺旋状に進むと思い込んでいる《時間》というのも考えればキリがない。そんなわけでブログが手つかずである。 ...続きを見る |
2008/07/06 16:15 |
ムツカシイものは面白い?
気になるけど気後れして言葉もでないときがある。きつい岩登りや沢登りをさけて遠回りした山歩きのようなものだ。でも手が出ないばかりにいっそう気になるものがある。ゲームや物理もそんなものの一つである。難しいもの、辛いものをさけてきたわたしにはなじめないが「ムツカシイものは面白い」と言うそそのかしにあえてのってみよう。 ...続きを見る |
2008/07/01 23:57 |
藤城清治さんの「銀河鉄道の夜」
このところアニメの『銀河鉄道999』ばかり取り上げてきたが、宮沢賢治原作の『銀河鉄道の夜』を思い出す季節が近づいた。そして藤城清治さんの影絵と文を思い出す。子どもが生まれる前に藤城さんの切り絵を元にしたジクソーパズルを何枚も妻と徹夜して仕上げたのも懐かしい。我ケ家にある講談社が1982年に発行した画文集は1993年で28刷だから多くのファンがいるにちがいない。 ...続きを見る |
2008/06/30 01:15 |
ダンテと小田和正
塩野七生さんの『ルネッサンスとは何であったか』(新潮文庫、平成20年)をパラパラめくっていたらダンテの肖像が目にとまった。 「この顔、小田和正に似てないか」と示せば、 「どこの人なの」と妻が問う。 「イタリア人さ」と答えれば、 「ちょっときつい顔つきね」と首をひねる。小田さんだってけっこう気難しい顔つきをしている。 ダンテ〔1265生−1321没〕はイタリア語で『神曲』を書いたフイレンツの詩人でルネッサンスの先駆けとなったという。肖像はアンドレア・デル・カスターニョの画で右向きの顔... ...続きを見る |
2008/06/22 01:14 |
沼津の菊の苗
JR三島駅前に楽寿園(らくじゅえん)という庭園中心の市立公園がある。今はもう撤去されたが沼津駅と三島田町駅を結ぶチンチン電車に乗って子どものころは何度も出向いた。元は誰かの別荘で、広い敷地には池や川のほかに動物園や乗り物もある遊園地である。春にはスミレが開花し、秋には菊まつりもあって人でにぎわった。三島駅、三島田町駅、三島大社を結ぶ一画は富士山の湧水があふれるように流れてどことなく鄙びていた。だから菊といえば三島市の楽寿園を思い出す。 ...続きを見る |
2008/06/21 14:01 |
ニつの『津軽』
出かけたことはないけれど気になる場所がいくつかある。今は亡き中上健次や南方熊楠にかかわる紀伊半島、農民反乱や《からゆきさん》が絡む天草・島原地方、台風の通路でありお遍路にもなっている土佐湾などだ。最近はギリシャ美術や発掘にひかれてエーゲ海にも興味が広がる。30年近く前に大平洋岸をクルマで北上し下北半島を一周して十和田湖から八幡平へ抜けたものの後回しにしたままで、カラオケで何度も吠え立てた「津軽海峡冬景色」の地である津軽もそのひとつである。アラン・ブースさんの『津軽−−失われゆく風景を探して−−... ...続きを見る |
2008/06/17 20:04 |
もしもあなたが猫だったら
科学作家だから「シュレジンガーの猫」を持ち出すと思っていた竹内薫さんの『もしもあなたが猫だったら?「思考実験」が判断力をみがく』(中公新書、2007年)にはそんな話は出てこない。猫好き作家だからタイトルにしただけで、猫の話は人間と鳥の視覚に触れたついでに出てくるだけである。脳科学に出てくるクオリアは質感と訳されるものの、目の細胞の感じ方をさすようだ。その入口である錐体〔すいたい〕細胞は鳥に4つ、人間に3つ、猫に2つだという。進化論でいえば盲腸のような「退化」や「劣化」にあたる。鳥は3次元の視覚... ...続きを見る |
2008/06/15 14:33 |
星はこれいじょう ☆ 岸田衿子
古本屋で日本ぺンクラブ編・大岡信選『愛の詩集 ことばよ花咲け』(集英社文庫、1984年)を探してきた。大岡さんには『集成・昭和の詩』(小学館、1995年)の編もある。たった10年の間に前者に出ていても後者に出ていない詩人がいる。岸田衿子(きしだえりこ)さんや木原孝一さんはそんな例である。それはともかく『ことばよ花咲け』をぱらぱらめくると短い詩が目についた。 ...続きを見る |
2008/06/08 12:48 |
「昭和ブル一ス」をロずさむ
ことしは平成生まれが成人になった。今さら「昭和ブルース」を持ち出すのも気がひけるものの、最初のフレ一ズだけをやけに口ずさむ昨近である。歌ったブルーベル・シンガ一ズのメンバーも覚えていない。 ...続きを見る |
2008/06/06 00:14 |
俺もフィギアを集めるか
ミヤンマーのサイクロンや中国四川省の地震の被災記事の合間に小さな写真付の記事が目についた。朝日新聞2008年5月15日(木)夕刊4版l2面には「村上隆作品16億円落札 男性フィギア」とある。l4日夜(日本時間15日)にニューヨークで開かれたサザビーズ社のオ一クションで、村上隆氏の立体作品「マイ・ロンサム・カーボーイ」が1516万ドルで落札されたそうだ。村上さんの過去の最高落札額はことし4月のロンドンでオークションにかけられた「パンダ」が272万ドルだから1月もしないうちに5倍の値のようだ。フィ... ...続きを見る |
2008/05/17 15:14 |
「笑う大英帝国」で大笑い
わたしを含めて我ケ家は他国に無関心な集りである。そのくせ欧米の小説を読み、映画を眺めてもの知りぶる困った者どうしである。娘は韓国や台湾まで手を出している。息子は日本の歴史や美術には見向きさしなくても、ギリシャ神話や西洋絵画に興味を示す。わたしもおおっぴらに裸体を眺め、オカルトの儀式を笑い、成り上り物語に心ときめかす始末だ。ボンクラの集りだから皮肉まじりの高尚なウイットを解せないにせよ、英国流のユーモアに何となくなじめるのも不思議である。 ...続きを見る |
2008/05/11 21:22 |
地図を片手に『吸血鬼ドラキュラ』
美女の生血を吸うドラキュラが原作でどのように描かれるかに関心持ち、せっかくだからと思い立ち読み始めたものの、なじみのない地名にわずらされてなかなか先に進まない。ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』(平井呈一訳、創元社推理文庫、1971年発行)は1897年に発表されたものだが、映画に登場したダンディな男でなく、陰気で残忍な吸血鬼として描かれる。4月の連休では548頁のうち300頁で音を上げてほっぽり置いた。それも口惜しいから地図を持ち出し、インターネッ卜で検索しながら読み切った。 ...続きを見る |
2008/05/07 00:51 |
結婚させたがる母親 「自負と偏見」
娘にすすめられてイギリスの恋愛小説に手を出した。ジェーン・オースティンのPride and Prejudice は、邦訳が「自負と偏見」(新潮文庫)・「高慢と偏見」(岩波文庫、ちくま文庫、河出文庫)・「プライドと偏見」(映画)の3種ある。内容から夕イトルを付ければ「傲慢と錯覚」だろうが名作ゆえにそれもできないようだ。一冊ですませるために中野好夫訳の「自負と偏見」にした。文庫とはいえ600頁の長編である。 ...続きを見る |
2008/05/05 13:26 |
水木しげるの『猫楠』 忘れられた変り者(2)
世の中にはおどろおどろしい幽霊や妖怪が描かれているが、妖怪マンガは水木しげるに尽きる。そんな思い入れがわたしにはある。ゲゲゲの鬼太郎はじめどことなくユーモラスで憎めないキャラクターにひかれる。でも、水木さんは幽霊や妖怪だけを描くのでなく、ヒットラーのような人物まで幅広く扱っている。今日は南方熊楠の生涯を扱った『猫楠』(角川ソフィア文庫、平成8年発行)を一気に読み終えた。帯の紹介を引用すれば《日本史上最もバイタリテイに富んだ大怪人の生きざまを、妖怪博士水木しげるが独特のぺーソスを交えて描く。》と... ...続きを見る |
2008/05/04 00:32 |
南方熊楠 忘れ去られた変わり者(1)
南方は、ナンポウやナンカタでなく、またミナミカタでもなく、ミナカタである。クマというのは熊野権現でグスは楠の木からとった気宇壮大な名前だ。1867年に生れ、1941年に亡くなった人だからわたしは知らない。博学多才で生物学や民俗学に名を残したという。評伝は多いものの彼の著作で簡単に入手できるものは岩波文庫の『十ニ支考』上・下ぐらいのものだ。棚上げにされた巨人といったら南方ファンに叱られそうだ。ともあれこの本は持てる知識の博覧会で、尾ひれはひれがついて、何が言いたいのかと首をひねる。おもしろいもの... ...続きを見る |
2008/04/29 15:49 |
言葉調べで無駄遣い ☆ アフォーダンスで頭が混乱
英語オンチだから新しい言葉が出るたびに尻ごむ。原語に忠実はいいのだがそのたびに調べるのもおっくうだ。同じ言葉が使われても微妙に異なるのは引用者の解釈ちがいだろう。ひまつぶしに苦手な数学やデザインに手を出したばかりに脇道にそれて堂々めぐりさせられた。小島寛之さんの『数学でつまづくのはなぜか』と木全賢さんの『デザインにひそむ〈美しさ〉の法則』で使われるアフォ一ダンスに錯乱して、佐々木正人さんの『アフォーダンス入門』を買う始末である。この言葉は心理学の造語がデザインの理論に転用されて混乱を生んでいる... ...続きを見る |
2008/04/28 00:31 |
妖精に惑わされて 「サロメ」と「人魚の嘆き」
妖精というタイトルにひかれて19世紀末のアイルランド文学史(下楠昌哉著『妖精のアイルランド』平几社新書、2005年)を読み流した。妖精というから美しい女性のニンフ[nymph]を想像したら、悪魔が女性や子どもにすり替わるフェアリー[fairy]のことでがっかりした。妖精は、「西洋の童話などに出てくる、人の姿をした自然物の精霊。フェアリー」とある。ニンフは、「@ギリシャ神話で、森・泉・樹木などの精。美しい女性の姿として現われる。A美しい女性の形容。」だという。いずれも出典は旺文社国語辞典第9版に... ...続きを見る |
2008/04/20 10:17 |
だます動物と化ける動物
群馬県の上野村には《オオサキ》という家につく動物がいるそうである。大型のイタチのようだが、紹介してくれた内山節さんは実在が疑われるという。気になってオオサキを検索をかけても地名や人名しか出てこない。ちなみに群馬県多野郡上野村は長野県や埼玉県の境にあり、中仙道のうすい峠の急勾配をさける間道としてにぎわったという。軽井沢や佐久しか知らないわたしには秩父困民党の残党が落ちのびたり、日航123便機が墜落した御巣鷹山(おすたかやま)の近くというぐらいしかわからない。【内山節『日本人はなぜキツネにだまされ... ...続きを見る |
2008/04/17 23:14 |
RCの「スローバラード」と『忌野旅日記』
もうそろそろギターも弾けるだろうとアコースティックで「なごり雪」を弾き始めたらギクッときた。簡単なコードだからと甘く見たのがいけなかった。昨日の検査で左肩を下にして5分寝かされたつけが出ている。テレビに夢中になっている女房が音声を流せば、RCサクセションの「スローバラード」が流れる。間延びして退廃的なフレーズだ。夜の駐車場にあの娘と手をつないでクルマで寝たというたわいもない歌詞である。 カーラジオから スローバラード 夜霧が窓をつつんで 悪い予感の かけらもないさ♪ ... ...続きを見る |
2008/04/13 22:31 |
違い・遅れ・固有性を知る ☆ 茶とコーヒーの歴史をきっかけに考えた
1階のエントランスでゲームをしながら子どもたちが話しをするのに耳をそばだてた。「おまえそんなことも知らないのバカだなあ、遅れているよ・・・」ともの知りぶった言いぐさにむっとした。そういえば我ケ家でも、わたしがテレビを眺めて「この役者は誰なの」と聞くたびに、「そんなことも知らないの、やだーお父さん遅れてる・・・」と何度笑われたことか。知らないことがなぜ《遅れ》となるのかわからない。関心や必要がないものを知らなくて当たり前だろう。知らないのはバカという考えに至っては思い上りでしかない。むろん《知る... ...続きを見る |
2008/04/06 14:21 |
リンクづけもうっとうしい ☆ わたしの《独書》について
ホームページに書き溜めた「本の紹介」を科目別に区分し、リンクを貼り直している。たいしたこともあるまいと鷹を食っていたらなかなか先へ進まない。たった273にすぎないのに30で音を上げるのも根気が欠ける。今日はその続きを始めたがいつまでもつだろうか。すでに元になる《ラベル》を作成していても、ひとつひとつ《ラベルの貼りつけ》(クリックするとラべルの頁がひらく)をするのは賽の河原の石積みのような苦痛が伴う。クリックすれば別のぺ一ジに結びつく《リンク》もこんな原始的な作業で成り立っている。 ...続きを見る |
2008/04/05 15:49 |
お茶に砂糖やミルクを入れる文化とのずれ
しるこやまんじゆうには緑茶があう。でもそういう店はコーヒーや紅茶の喫茶店におされて繁華街から姿を消している。我ケ家では抹茶や煎茶は忘れられた存在である。コーヒーになじんだわたしと紅茶に親しんでいる家族は茶の入れ方を忘れた。これでもわたしは社会人になる前に4年ほどお茶汲み修行をした。湯煎(ゆせん)をしたり、茶葉の種類に応じた温度とひたす時間に気をくばったものである。それが今では緑茶もティーパックである。これも世の中があわただしくなったからだけでなく、嗅覚(きゅうかく)がどんかんになった反映でなか... ...続きを見る |
2008/04/03 00:48 |
甘やかせるのが優しさだろうか
都合のいい意見を持ち出して説教を並べたくはない。世の中の流れと逆行するものの、バスや電車で勝手放題をする自分の子どもにチャンづけして叱ることもしない母親を眺めて思わずうなずいた文句を紹介したい。これを紹介した著者は反対の立場であるが、それが書かれた時代に広く浸透していたにちがいない母性的な態度、すなわち優しさや思いやりにたいする論駁だとしている。なお、出典はエリザベート・バダンテール著『母性という神話』(鈴木晶訳、ちくま学芸文庫、1998年)の70−71頁です。この本で引用される以下の文はスペ... ...続きを見る |
2008/03/27 00:50 |
しまりがなくなった尻とケツ
尻にしまりがなくなった。ところかまわず屁をこいで家族に笑われる。野菜を食わない、コーヒーを飲みすぎる、タバコを吸うからと非難されるのもシャクだ。「口や顔にしまりがないのは生れつき。尻にしまりがつかないのはお前らがつきまとうからだ。」と居直れば家族は呆れて遠ざかる。屁をこくのは胃潰瘍の薬を飲んでいるからだろう。ガスターという薬の名からして臭い。それはともかく尻とケツについてしまりがない話を続けたい。 中村うさぎさんの『オヤジどもよ!』(文春文庫))は「屁こきオヤジ」に1章を割いている。... ...続きを見る |
2008/03/22 13:18 |
「OL殺人事件」から「ラブホ進化論」を終わります
昨年の12月に読み終えていずれまとめようと思っていたまま、殺人事件という話題に手を出すのを嫌っていた佐野眞一さんの『東電OL殺人事件』はパソコンのクラッシュと復旧に追われて後回しになっていました。有名企業の総合職にある女性が買春行為の末に絞殺された事件を扱うだけで好き者扱いされるのがしゃくでした。そこに金益見(きむいっきょん)さんの『ラブホテル進化論』が出てきて比較してみたくなって始めたのが家族も嫌がるこの話題でした。 2冊の本を取り上げてあれこれ寄り道してきましたが、これ以上続けると興... ...続きを見る |
2008/03/21 00:05 |
「OL殺人事件」から「ラブホ進化論」へ(8) いかがわしさからの脱皮 その2 終わり
「進化論」の第6章「ラブホテルを利用する」と第7章「ラブホテルを変えた情報誌」は利用者の変化と経営者の戸惑いが出ていて、社会的には負の世界と扱われる二人だけの空間の変遷が表れている。そこにはセックスの場だけでない利用が多数紹介され、利用者のブランド神話も描かれていてこんな利用もあるのかと感心する次第である。わたしの利用経験にしても、携帯電話がこれほど広く普及せずビジネスホテルやロードサイドホテルが発展しない10年以上前には、モーテルは路上に駐車して仮眠して犯罪に合うより確実で安眠できる施設であ... ...続きを見る |
2008/03/20 23:45 |
「愛の論理」を笑う
どんなに多くの本から引用されようと不毛な論理は茶番である。苦手な分野の補強とはいえそんな本につき合う自分が厭になる始末である。それが飯田史彦さんの『愛の論理 私たちは、どこまで愛せばゆるされるのか』(PHP文庫、2002年)である。著者によれば『生きがいのマネジメント』『ブレークスルー思考』『生きがいの創造』などで100万部を起えるべストセラーとなったそうだ。ポアの教祖と同様にそれだけ「生きがい」を求める人はいるのだろう。第4章の「愛の統合理論」というのもすばらしい夕イトルでわたしにはとても口... ...続きを見る |
2008/03/20 19:21 |
「東電OL殺人事件」から「ラブホテル進化論」へ(7) いかがわしさからの脱皮 その1
「進化論」のユニークさは設計・建築および経営にかかわる人たちへの豊富な聞き取りだろう。著者が記すように経営者も世代交代にさしかかる時期にあたるから聞けたものもあるようだ。おしいのは具体的な数値が示されていないことだが、この本は文化論であって経済書ではないから無理な注文である。といっても投下資金の回収期間や部屋の回転率は示されている。また経営分析を始めるにも公開される資料も少ない業界だろう。ということで、今回は業界の変遷や競合施設とのすみ分けに絞ってまとめよう。 ...続きを見る |
2008/03/19 22:05 |
「OL殺人事件」で問われたこと
これまでは「進化論」と結びつけるために「OL殺人事件」は売春の面に絞って論じてきた。でも、それだけでは佐野さんの論考を誤解させるような気がしてならない。そこで佐野さんがこの事件をどのように描いたかを整理しておきたい。それはエミール・ゾラがドレフェス事件でユダヤ人大尉の冤罪(えんざい)を弁護したのを彷彿(ほうふつ)させる読みごたえがある。【注】 ...続きを見る |
2008/03/18 23:18 |
アイドルのウエストで八つ当たり
来月から40歳から74歳までの中高年を対象に、「特定健診(糖尿病等の生活習慣病に関する健康診査)」が義務づけられるという。メタボリックシンドローム(代謝症候群、メタボ)の該当者と予備軍を排除しようとするようだ。禁煙、禁酒の次に肥満も財政的なぺナルティを課すようだ。やせ型のわたしや息子はこれでバスや電車のきゅうくつさから解放されると喜んでみたが、禁煙と同様に気に入らない者の排除のような気がして素直に喜べない。めざわりで医療の負担が増すにせよ好きで太ったわけでもあるまい。体質やストレスでやせたり... ...続きを見る |
2008/03/17 23:49 |
「東電OL殺人事件」から「ラブホテル進化論」へ(6) ☆ 日本の技術
数年前は、中島みゆきが歌うテーマソングにつられてNHKの「プロジェクトX」を続けて見ていた。戦後日本を支えた名もなき男たちの物語というサブタイトルも泣かせた。新橋駅のガード下にたむろするサラリーマンには欠かせられない番組だったのだろう。やらせが発覚して終ったのもさびしい。日本の技術が見直されただけマシだった。失敗にくじけずこつこつカイゼンに努めるのは、昔のドラマ「おしん」を彷彿(ほうふつ)させる。 ...続きを見る |
2008/03/16 07:03 |
補論 地域社会の解体と性の教育など
興味本位に陥るのを避けるため、売春やラブホを取り上げた文章(「OL殺人事件」から「ラブホ進化論」へ)に個人的な主張を持ち出さないように努めている。価値判断や倫理観の伴う話題に個人的な主義・主張を持ち出して内容を断罪するのは公平ではない。だから、好むと好まずにかかわらず事実や制度を客観化するように努めてきた。とはいえ、性や愛についての考えには文学や芸術だけでなく社会制度や科学を無視して語れない部分が残る。そこで今回はかっては地域社会が伝承・負担していた性にかかわる風習とともに性科学といわれる研究... ...続きを見る |
2008/03/15 18:31 |
「東電OL殺人事件」から「ラブホテル進化論」へ(5) ☆ 愛情表現の多様性
花粉が飛び、目がしょぼしょぼする。ものがしっかり見えないのもいらだつ。読み終えた本をノートにまとめ、ずっと昔に捨てた本を買い込んで読み直すのもわずらわしい。それにしてもつまらぬ話題を取り上げたものである。色狂いの親父とバカにされてもしかたない。せっかくだからもう少し硬い話を続けたい。というわけで、わたしには最も無縁な愛情についてふれておこう。 ...続きを見る |
2008/03/14 01:51 |
「東電OL殺人事件」から「ラブホテル進化論」へ(4) ☆ 犯罪の抑止
「資本論」や「進化論」など漢字の夕イトルには見向きもしないのに、どういうわけか「ラブホ」や「キャバクラ」というカタカナが加わると家族は素早い反応を見せる。経済や経営それに会計にかかわるまともな分析もあるというのに・・・。カタカナはそんなひわいな響きをただよわすのだろうか。また、施設のいかがわしさと犯罪を結びつけるのは顔つきや身なりで犯人だと決めつけるのに似ている。美形だから心がキレイというわけでもあるまい。そこで今回は犯罪の抑止というテーマで続けよう。 【ご注意】 この文章には性風俗にか... ...続きを見る |
2008/03/12 01:33 |
名は体を表すのか ☆言葉の言い換えで解決はしないだろう
予約時間には早いので、いつもとは違う方向からバスを降りて床屋に向かった。店の前の道路は抜け道にほぼ毎週使っているものの住宅街を歩いたことはまったくない。近所でも興味や必要性が欠ければ気付かない世界がある。先週末に探し回った処方せん薬局が床屋のはす向かいにあるのも13年ぶりで知った。いつもの方向に印刷所があるからまったく気がつかなかった。「何でこんなところに薬局があるの」と亭主に聞けば、奥に小児科があるということだ。昔は老人相手の流行らない病院だったが小児科にしてから客が増えたという。「寺前とい... ...続きを見る |
2008/03/09 16:32 |
「東電OL殺人事件」から「ラブホテル進化論」へ(3) 底辺労働を支える人々
佐野眞一さんの「東電OL殺人事件」は容疑者扱いされたネパール人の無罪立証が大部を占めている。そこが一流企業のエリート社員でありながら渋谷の街角に立って売春していた被害者のスキャンダルやゴシップをセンセーションに煽るジャーナリズムとの違いである。外国から出稼ぎに来ている人々の生活や彼らに対する偏見がネパール人青年を容疑者としたのだろう。佐野さんは自らネパールに出向き、青年の家族も取材した上で、犯行現場に彼が時間的に到達できないことを証明している。そこで、日本の底辺労働を支えている外国人労働者につ... ...続きを見る |
2008/03/07 23:38 |
「東電OL殺人事件」から「ラブホテル進化論」へ(2) 分析の視覚
読書のまとめで書き始めた「○L事件」と「進化論」を結びつけるものは人間の性欲の発露の両極のような気がする。それは職業として行われるか愛情の高まりととらえるかの違いがあるにせよ、少し前までは隠されてきたものだ。そこで、これから少し寄り道して真面目でかたい話をしたい。神話、民俗学、精神分析学、社会史などに立ち寄るつまらない内容ですからこれ以上先に進むことはありません。また、不適切な言葉もありますので未成年者はご遠慮ください。 ...続きを見る |
2008/03/06 23:50 |
ケネーの経済表にとまどう
資本論の再生産表式を復習したついでに根井雅弘さんの『経済学の歴史』(講談社学術文庫)でケネーの経済表を復習した。数式ではなく図表だからなじめそうでとっつきにくい。点線で結ばれた3つの階級の生産物と金の流れの説明をたどっていくのもおっくうだ。ジグザグの表を追っているうちに頭がくらくらしてきた。 ...続きを見る |
2008/03/05 22:16 |
「東電OL殺人事件」から「ラブホテル進化論」へ(1) 序論
【おことわり】これから綴ることは未成年者になじまない内容ですので先に進むのはご遠慮ください。また、スキヤンダルをまきちらすつもりはなく、かたい内容なので読んでもおもしろくないでしょう。文化や社会に関心がある方だけおすすみください。ホームぺージにかってまとめた「たまり場考」 http://www5f.biglobe.ne.jp/~nobu-yamada/tamari.html の延長です。 ...続きを見る |
2008/03/04 23:28 |
インターネットで調べて泥沼にはまる ☆翻訳ソフトで遊ぶ
経済学の復習をしていたらずっと昔に関心をもった学者のことが気になった。フリー百科事典の『ウッキペディア』の「経済学者」には日本と外国の学者の紹介が多数掲載されている。直接教わったことはないが、関心を持って何冊かを読んだ方々ばかりである。でも、水田洋さんや内田義彦さんと同じ社会思想史なのにどういうわけか高島善哉さんが出ていないのがさびしい。高島さんの業績を偲ぶ記事も多いのに不思議である。また、再生産表式の研究をされていた高須賀義博さんも出ていない。研究にはやりすたりがあるからだろうか。【参考まで... ...続きを見る |
2008/03/04 02:11 |
したい・へんたい・たいしゃに笑う
もちろん翻訳だけど、久しぶりにマルクスの資本論を読み始めたらふだん使わない言葉が出てきて頭がクラクラしてきた。様式(ようしき)は便所でなくシステムとか制度だろうし、形態(けいたい)は目に映る物の姿や形だろう。それに耐えて、先に進めば相対的価値形態・等価形態・一般的価値形態・貨幣形態と「形態」がコロコロ登場する。ここまでは定義の問題だから我慢したが、姿態(したい)・変態(へんたい)・代謝(たいしゃ)が登場するとこれは官能小説のたぐいじゃないかと思わず吹き出す始末である。目の見えない人に読み聞かせ... ...続きを見る |
2008/03/02 02:37 |
毒本にひかれるわたし
箸にも棒にもかからない文章読本は毒本である。書いてる人もラリッているし、読む方もうまくなるとラリッている。中毒患者どうしが賛美し合う市場だろう。独習するために読む本に毒が含まれるのも怖い。最近は文章だけでなく、音楽や趣味まで毒本が増えた。あげくの果てには「検定」と称する押し付けがましいタイトルも増えた。京都検定だ東京検定はご愛嬌だがロック検定とかジャズ検定に至っては中毒者の居直りとしか思えない。もっとも音楽は中毒で成り立っているのだが。 病院嫌いだから売薬でごまかす。といってもサプ... ...続きを見る |
2008/02/27 23:42 |
フランス人はなぜキスが好きか
公衆の面前で抱き合ったりキスをする犬猫もどきを見かけるとむしずがはしる。奥ゆかしい日本人はどこへ消えたのだろう。とはいえパパやママと子どもに呼ばせなかったわたしが今も悔やむのは毎朝キスをして家を出ることだ。妻の友人がしていたからというのも今もって納得できない。友人たちだってとっくにやめただろうに。こんな義務的なキスと異なり、フランス人は人前はばからぬキスの好きな民族ようだ。そのわけをフランス文学の鹿島茂先生に教えていただこう。 ...続きを見る |
2008/02/26 23:31 |
経済学の古典には解決のヒントがある
古典というものは有名なわりに読まれないが、誰かが読み続けているもののようだ。これは若田部昌澄さんの『経済学者たちの闘い エコノミックスの考古学』(東洋経済新報社、2003年)を読んで思わずうなづいた。いろいろな人がそれを読んでほめたりけなす価値があるのも古典といわれるものの宿命だろう。日本語で書かれた「源氏物語」や「徒然草」はともかく、翻訳に頼るしかないアダム・スミスの『諸国民の富』、カール・マルクスの『資本論』、J・M・ケインズの『一般理論』はそういう古典の最たるものだろう。 ...続きを見る |
2008/02/24 15:04 |
拓郎が出ていたばかりに読んだ本 群ようこ『音の細道』
書店の新刊コーナーで見つけた群ようこさんの『音の細道』(幻冬舎文庫、2008年)をめくると「サムイ島で吉田拓郎」という見出しが飛び込んできた。なんだこりゃと首をひねり、どんな内容かと見出しを追うと「小唄を習う」、「ビートルズと北島三郎」、「レゲエとご隠居」、「隣のおやじの起床ラッパ」、「津軽三味線はしんしんと」などなど支離滅裂である。それが気に入って買い込み、一気に読み終えた。 ...続きを見る |
2008/02/20 23:47 |
家のドアが開かないんです
子どもには弁解するなと説教しているのに妻を相手にするとけっこう言い訳を重ねている。欲しいものは態度に出るからすぐバレるし、おだてても下心をみすかされている。これも日頃の信頼のなさの反映だろう。そんなわけで他人がどんな言い訳をしているのか気になって、それとなく喫煙所や酒の席で探りを入れてもたいして参考にならない。悪を装ってもウソつくのが下手な者ばかりである。 ...続きを見る |
2008/02/18 23:27 |
すそが広くて書評がしにくい『入門経済思想史 世俗の思想家たち』
ハイル・ヒトラー(ヒトラー万才)と間違いやすいのがロバート・L・八イルブロ−ナーというアメリカの経済学者である。ご本人もロブスター(ザリガニ)と勘違いされたことを『入門経済思想史 世俗の思想家たち』の序文で綴っている。もっとも自分の名前より本のタイトルの「世俗」Wordlyを「世界」Worldと混同されたことのつけ足しである。昨年末から一ケ月かけて読んだ本だがすそが広くてまとめきれない。読むのは二度目で、そのたびに日本の経済学者とは異なる視点や読者をひきつける内容である。【ちくま学芸文庫・訳者... ...続きを見る |
2008/02/15 23:53 |
がんばれ忌野清志郎
若い頃はフォークだけでなくロックやジャズを抵抗なく受け入れていたのに最近はやけにうっとうしくなった。それでも、ラジオから流れる昔の曲に思いをはせるのも矛盾している。それが気になって、昨日は、中山康樹さんの『ジャズの名盤入門』(講談社現代文庫)と大友博+西田博さん編著の『この50枚から始めるロック入門』(中公新書ラクレ)を買った。半分ぐらいはなじんでも後はまったく別世界である。 ...続きを見る |
2008/02/10 20:14 |
野口英世の評価に思う
新しい千円札に使われている野口英世は、怪我や貧困にかかわらずアメリカに留学し、多くの細菌を発見してアフリカで黄熱病で倒れた学者として偉人伝に登場する。彼の母のたどたどしい文章も真心を伝えるものとして取り上げられる。でも、彼が研究場所としたロックフェラー大学では別の評価がされていると福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだに』(講談社現代新書1891、2007年発行)で紹介されている。 ...続きを見る |
2008/02/07 23:43 |
杉本栄ーさんの「近代経済学の解明」を読み直す
先月から久しぶりに経済学を復習している。勉強嫌いな娘や息子に最低限の知識を身につけさせるために近代経済学やマルクス経済学の基礎知識を講義して煙たがれる始末である。金もうけにさっぱり縁がなく無駄遣いの親父が資本蓄積とか公害などといっても無益と思うのだろう。数式が絡むのも経済学を煙たくさせるものだ。それはともかく自分の知識を再整理するために杉本栄ーさんの『近代経済学の解明』(上・下2冊、岩波文庫)を読み直した。 ...続きを見る |
2007/12/10 02:08 |
ハザ−ドマップから除夜の鐘
見える見えないで一喜一憂している富士山にかかわるからブル−バックスの『富士山噴火』@を読んでいる。いつものとおり妻は「バカみたい、そんはことはわたしたちが死んでからでしょう」と笑う。先日は小松左京さんの近未来小説を思い出して『日本列島は沈没するか』Aを読んで同じことを言われた。のんびりしているようで結構したたかな妻には、ギタ−やパソコンのほかにあれこれ手を染める亭主がうとましいのだろう。そこでコンビニで買った『数と数学がどんどん楽しくなる本』Bで知った婚約数を持ち出せば「つまらない」とふてされ... ...続きを見る |
2007/12/01 15:07 |
罰当たりが日本仏教史を読めば
ことしは宗教にかかわる読み物にふれる機会が多かった。−遍や空海の伝記を読んで念仏や密教に関心を持ち、流行映画や美術にかかわってユダヤ教やキリス卜教の歴史をたどり、経済思想の寄り道でマックス・ウエ−バ−の著作を読み、各宗教の経済観念を比べるためにイスラム教や仏教まで寄り道をした。信心などこれっぽっちも持ち合わせていない現実主義者のわたしにはなじまない分野だからうさん臭さがつきまとう。それもギタ−をいじったり温泉めぐりする合間のひまつぶしである。【読んだ本のリストは下にまとめました。】 ...続きを見る |
2007/11/30 01:38 |
もどきやまがいの擬制でも ☆ 連休は経済学でヒマつぶし
利子について調べていたら擬制(ぎせい)資本という何だか分からない言葉が出てきた。わが身をささげる「犠牲」、ものまねの「擬声」、まがいものの「擬製」でもない。そういえば退屈な英文法に出てきたと思い出した。「擬制」というのは、本質はちがっていてもみせかけはこうであるということらしい。それにしてもこの「擬」という漢字は「擬古文」・「擬人法」・「擬似」・「擬態」とあるように@おしはかる、Aなぞらえる、Bうたがうというようにうさんくさい。もっといえば「もどき」や「まがい」というニアンスが伴う。でも、疑わ... ...続きを見る |
2007/11/25 14:54 |
冷静な頭脳と暖かい心の経済学
30数年前の中小企業論の授業で聞いたもののそれがどこで語られたのか気になっていた言葉がある。それは「経済学者は冷静な頭脳と暖かい心を持たねばならない」というもので、イギリスの新古典派経済学を形成したアルフレッド・マーシャルが1885年にケンブリッジ大学教授就任講演で行ったようだ。恵まれた階級の出である学生たちに貧民街へ出向いて貧困の実態を知ることを求めたという。この学者は、結婚によってフェロー職を失ったものの実績が認められて復職しただけでなく、ケンブリッジ大学の経済学部の創設に尽力し1903年... ...続きを見る |
2007/11/19 00:11 |
文字や言葉で伝わらないこと
ブログやホームぺージに文字を書き散らしているわたしが最近懸念しているのは、近所の連絡にしても文書にして掲示したり回覧してすませる風潮だ。それは、正しく伝えるためというより日中不在の家も多く、互いの電話番号も教え合わないからだろう。そこには、「わたしはこう言いました」・「伝えました」という証拠作りや責任逃れがつきまとう。本当に伝えるべきものは文字と言葉をあわせて行うものだが掲示や回覧にそういう気配りは見かけない。火事や殺人に居合わせた時にも声を出さずメールを打ち込むのかと思うとぞっとする。 ... ...続きを見る |
2007/11/17 23:01 |
美人もうかうかしていられない時代
自分と無縁だと思っていても見た目の美しさにひかれる。形状や機能のすばらしさが美しく感じさせるのだろうか。それともそういうものに内在するオーラが発するものだろうか。美しさは歴史的に移り変わりどこにも絶対的なものはないというのは負け惜しみにすぎない。持ち合わせていないからあこがれ、過剰な期待をよせる。人間の区別に美しさが持ち出され、格差と結びつくのも不公平である。美女論や美男論を持ち出されるとむかつくのは持ち合わせていない者のひがみだろうか。 ...続きを見る |
2007/11/14 01:20 |
二日続けて港めぐり
昨日通り過ごしたのが気になって、赤レンガ倉庫で開催されている「全国ふるさとフェア2007」へ午後から出かけた。入場無料と好天のせいかイベント広場は人でごったがえしている。「そのまんま効果」のせいか宮崎県のブースは列ができ、どこの食べ物のコーナーもごったがえしている。鹿児島の焼き芋や網走のほたて焼きも人気だった。それと対象的なのが神奈川の名産や東京都のブースはひっそりしている。いつでも出向けるからだろう。 ...続きを見る |
2007/11/04 23:26 |
鎮守(ちんじゅ)の森あれこれ
風というグループの唄にカン卜リー風のリズムでのどかな曲があった。題名は忘れたが「ポカポカな太陽とほこりっぽい風が/鎮守の森や・・・ ♪」というやつだ。大久保ー久さんの作品だから誰も覚えていないだろう。村のはずれにあるこんもり繁った林を思い出す。ところで、鎮守の森は植物生態学では国際用語だという。それを最近、宮脇昭さんの『鎮守の森』(新潮文庫、平成l9年)を読んで知った。 ...続きを見る |
2007/10/18 23:06 |
コーチングで脱線 ☆わたしはウサギ
最近は「コーチング」に関わる話題が増えた。子育てに始まり、学習指導やクラブ活動のほかに経済活動までさまざまに使われる。やる気(モチべーシヨン)を高める技術のようである。ところで、日韓共催で行われたワールドカップでサッカーの監督が「コーチ」と表記されていたのを覚えていますか。野球では監督の下にコーチがいるけど、サッカーには野球のコーチに相応した人を何と呼ぶのだろう。最近退団した古田さんのように野球では選手と監督を兼ねた人を「プレーイング・マネージャー」と呼んでいた。マネージヤーとコーチはどうちが... ...続きを見る |
2007/10/15 22:22 |
初見能力(先読み)が欠かせない ★ゲームと読書でひまつぶし
外に出向くのもおっくうだから家に3日くすぶっていた。読書とギターとゲームで過ごすのも悪くない。ウインドーズパソコン付属のフリーセルに毎日10回以上挑戦して家族には「よく続けられるね」と皮肉を並べられる。ここ半年で763勝648敗で勝率54%だからたいした成績ではない。連勝したと気を抜くと連敗が続く。このゲームは並べて消していくものだがどこから始めるかがポイントだ。Aの位置とカードのつながりを見極めて展開する。あとー手というところで上がれない時はムッとする。 ...続きを見る |
2007/10/09 00:35 |
古本屋めぐりの失敗 ★CDが曲がっている
ジャズが何かと話題になっている。基礎知識を身につけるために古本屋へ出向いた。CDショップやコンサー卜に出向けばいいのになぜ古本屋か。聴く前に知識というのがわたしのスタイルである。それに今さらコンサー卜へ出向のもく恥ずかしい。さっそく富塚章さんの『はじめてのジャズ セッションで困らないための必修スタンダード50曲』(リツ卜ーミュージック、2001年)を買った。CD付きで定価3,000円の半額である。ついでに、ピーター・コラッジオ著『ピアノ・テクニックの基本』(坂本暁美/坂本示洋訳、音楽之友社、2... ...続きを見る |
2007/10/07 15:56 |
富士山に初雪化粧宣言
本を読み、ギターを弾く合い間に外を眺めても晴れているのに富士山は見えない。昨日飲んだバリウムが午後にようやく出たら妻の愚痴が増えた。人間ドック前後は出るものが出ないいらだちが増す。出ても重金属が沈殿するから処理がおっくうだ。夕焼けがうすれる頃にようやく富士山が姿を見せた。わずかな光量だから、かろうじて上に空が浮いた黒い富士山である。「あんたと同じで便秘みたい」と妻は笑う。 ...続きを見る |
2007/10/07 15:50 |
脳がますます分らなくなった クオリアって何だ
加須で買った古本の中でー番先に読み終えたのが本川達雄さんの『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』(中公新書、1992年)だった。数字で具体的に語るからなじみやすくてー気に読めた。「心拍数ー定の法則」というのもあって、哺乳類ではどの動物でもー生の間に心臓は20億回打ち、寿命を呼吸する時間で割れば、ー生の間に約5億回息をスーハーと繰り返すそうだ。そこから生物にはそれぞれのサイズに応じた時間と寿命があるという展開である。おもしろいのは絶対的と思っている時間が相対的なものとなることだ。自分が生物で... ...続きを見る |
2007/09/30 23:28 |
床屋はわたしの図書館
硬い直毛だから寝かせるために月にー度はパーマをかける。美容には無縁だがズボラをとおすのに欠かせない。出向いてから戻るまで3時間もかかるから土曜日の午前はそれでつぶれる。それはともかく床屋に出向くと待ち時間にふだん読まないスポーツ新聞や女性雑誌に目が向く。子どものころはマンガに夢中になったのと同じだろう。 ...続きを見る |
2007/09/29 12:40 |
ギ夕ーを持ち出して笑いもの
風呂めぐりを始めてからケースにしまいこんでいたギターをいじれば煙むたげな家族の気配がただよう。それにしても苦手だったFコードが押さえられるのも不思議である。昨日は雑誌「Go!Go!GUlTAR」2007年11月号増刊の『アコーステック・ギ夕ー教室』(ヤマハミュージックメディア)を買った。THE ALFEE坂崎幸之肋が弾いて教える!というずいぶん長い前ふりのついた夕イ卜ルだから人前で開けるシロモノではない。この連載を読むために恥ずかしさに耐えて毎月本屋に出向いた。 ...続きを見る |
2007/09/27 23:19 |
マネができないこと 《ぼかし》と《はぐらかし》
ビジネス向けの実用書をたまに読む。精神訓話にはなじめないが、発想法の部類は遊びにも応用できるから半分バカにしながら読み流す。先日読んだ『千円札は捨うな。』(安田佳生著、サンマーク出版、2006年)もそんな本だ。1円玉や百円玉は無視しても千円や万円札になれば思わず捨おうと思うのが入間だ。それを例にして視点を固定化することによってまわりにあるもっと大きな利益を見失う弊害を指摘する内容である。安定した売上先に満足し、そのために無理な注文に応じて仕事を増やすより切り捨ててもっと大きな売上獲得に向うとい... ...続きを見る |
2007/09/27 23:11 |
キツツキとカッコウ 石川啄木のこと
義母は折り紙細工を巧みに行う。立体的な鳥や宿場の風景に仕上げる。出向くたびに新作が飾られているから今度はどんな作品かと期待する。ただ黙々と折り続ける義母の根気に驚く。耳が遠いから話しかけても意外な答えが戻って戸惑うことも多い。折り紙の作り方を尋ねたら実用語字典を持ち出された。今も日記を書き続けているのも頭が下がる。 ...続きを見る |
2007/09/24 16:33 |
空海を扱った二冊の本
先日から本屋を回って司馬遼太郎の『坂の上の雲』を探しているが見あたらない。学生の頃にもてはやされた歴史小説である。そのころは変な時代でマルクスを持ち出す学生がヤクザの任侠映画に共感したり、ハチマキを巻いて刀を持ってポーズをとる作家が美化されたこともあった。『坂の上の雲』は曰本列島改造とか高度成長が謳歌された頃にゼミの先輩がやけに持ち上げていたがヘソ曲りなわたしは読まなかった。国家や政治に無関心なわたしには司馬遼太郎は煙たい存在で、歴史を持ち出して世相を批評するスタイルが鼻もちならなかった。 ... ...続きを見る |
2007/09/22 19:27 |
ウソつきとホラ吹きは尽きない
ウソつきはドロボウの始まりと洗脳されて育ったばかりに、根っからのウソつきやホラ吹きに出会うたびに驚嘆する。世の中にはウソを嘘と思わず、ホラを交えて語ることができる天才も多い。というわけで、白川道さんの『大人のための嘘のたしなみ』(幻冬舎新書、2006年)をー気に読んで上には上がいるものだと感心する始末だ。「嘘は社会生活に不可欠なもの」という居直りにうなづくのも、ホラ吹きになれない小心者だからだろうか。 ...続きを見る |
2007/09/22 19:22 |
すっきりしない読後感 秋庭俊著『帝都東京 隠された地下網の秘密』
先週は二冊の本を同時にー週間かけて読んだ。ビールではないがノドごしのすっきりする本としない本がある。すっきりしたのはNHK取材班の『「空海の風景」を旅する』(中公文庫、2005年)で、すっきりしないのが秋庭俊さんの『帝都東京 隠された地下網の秘密』(新潮文庫、平成18年)である。どちらのテーマも門外漢の冷やかしで接したが、書き手の意欲が裏目に出てキツネにつままれたようなとまどいが残る後者に絞ってまとめたい。 ...続きを見る |
2007/09/18 22:17 |
義父宅へ出向いて古本あさり
半年ぶりに全員で義父母宅へ出向いた。子どもが小さいころは二ヶ月にー度出何いたが最近は出向くことも減った。義父とわたしは同じ性格で妥協をしない頑固者どうしだ。互いが気を遣って距離を置くのも疲れるもとである。それでも、隣家に住む義兄(妻の長姉の夫)が昔から義父との間をとりもってくれるから平和が保たれる。温泉めぐりを始めたと話せば義兄はしきりと那須へ出向くようそそのかす。義父母の御機嫌うかがいに出向いて遊びまわれば非難されるもとだ。 ...続きを見る |
2007/09/17 18:14 |
書き続けること 読みやすさと書きやすさ
毎日思いつくことを作文にしている。どうでもいいことや枝葉末節ばかりである。家族は呆れながらも放置している。何かをしていれば小言も並べられず自分たちの好きなテレビやビデオに口出しされないからだろう。何もすることがないとテレビの音量がやけに気になり、タバコの煙も部屋に充満する。たまに何もせずボーッとしていると「どうしてやらないの」と言われるのもしゃくである。ネタぎれもあるのに。 ...続きを見る |
2007/09/13 23:06 |
20世紀から学ぶもの
ニューョーク世界貿易ビルに旅客機が突入してから6年が過ぎた。米国の中枢部を同時に狙ったテロで多くの人が亡くなったが、イラクやアフガニスタンでは今も戦争が続く。テロや戦争の巻き添えになって愛する人や家族を失った人の悲しみにちがいはないだろう。あるものが欠ける寂しさや空しさは鈍感なわたしにもわかる。亡くなった人の冥福を祈る気持は変わらないものの、なぜそれが起ったかも忘れてはならないのではないだろうか。 ...続きを見る |
2007/09/12 23:24 |
つまづいたり、ころんだりするのが自然なんだな
ひとり者のころは言いたい放題で過してきたが、子どもが生まれてから思うことを伝えるむずかしさを痛感した。何気なく口にした言葉を子どもに蒸し返されて冷や汗もかいた。わたしが元々変わり者だと承知していた妻とちがって子どもには逆説や皮肉が通じなかった。なぜ、どうしてかをかみ砕いて説明するのもおっくうだったが将来を考えると欠かせなかった。痛みや不快にしても言葉で覚えるものでなく身をもって感じることだろう。 ...続きを見る |
2007/09/11 21:45 |
「女湯のできごと」を読んで風呂を見直す
古本屋で買ってきた益田ミリさんの『女湯のできごと』(知識の森文庫、光文社、2006年)を笑って読んだ。妻はまたくだらない本を集めてと呆れている。益田さんは1969年、大阪生まれのイラストやエッセイを手がける女性である。30年前の大阪の銭湯をマンガと文章で描くのもわかりやすい。そこに東京の銭湯との比較もあってそうなのかとうなづかされる。益田さんは銭湯を利用しあう人々の振る舞いや当時のためらいを描いている。赤ん坊のお守りや風呂屋の従業員との触れ合いも登場するからゲスの勘ぐりとは無縁な本である。 ... ...続きを見る |
2007/09/09 14:27 |
具体的に動けば必ず具体的な答が出るよ
昨日紹介した相田みつをさんの言葉を若干補足したい。相田さんは大正13年に栃木県足利市に生まれ、書家や詩人として活躍し、平成3年に67歳で亡くなった方である。補足したいのは『新版にんげんだもの』(角川文庫)に編まれる「M君へ」というありきたりなタイトルの文章だ。M君は相田さん自身なのかもしれない。 ...続きを見る |
2007/09/08 12:29 |
相田みつをさんの『新版 にんげんだもの』を読み直して
わたしたちが「人間だもの」と口にするとき、他の生き物とはちがうというウヌボレだけでなく、自分の未熟や不勉強を棚上げして悪いのは社会や他人だと言い張る身勝手な言い分もある。だから、相田みつをさんの『新版 にんげんだもの』(角川文庫)を初めて読んだときはなじめなかった。先日、娘の机にその本があったので読み直すと説教とちがって互いを認め合う言葉がある。 ...続きを見る |
2007/09/07 23:43 |
親の因果が子にたたる? マリー・アン卜ワネッ卜余談
かっての人気マンガ「べルサイユのばら(べルばら)」【1】が脳にこびりつき、先日は不用意にマリー・アン卜ワネットを持ち出したので藤本ひとみさんの『マリー・アン卜ワネットの生涯』(中公文庫、2001年)を読み直した。藤本さんの説明だけで人物を語るのは気がひけてシュテファン・ツワイク作、高橋禎二・秋山英夫訳『マリー・アン卜ワネット』(岩波文庫、1980年、全2冊)とアントニア・フレーザー作、野中邦子訳『マリー・アン卜ワネット』(早川書房、2006年、全2冊)も買ってきたがフランス革命【2】がなければ... ...続きを見る |
2007/08/30 22:45 |
みんなのハローワーク
わたしはハローワークという言葉に長い間なじめなかった。日本の役所なのに何んでカタカナにするのかととまどったものだ。公共職業安定所で十分じゃないかと今も思う。職を探す人が集まる施設だから失業者の「波浪」ともじったかと勘違いしたものである。どうでもいいことだけど職業斡旋(あっせん)や人材派遣もなじみにくい言葉だ。ー時的な仕事の斡旋なのに継続性のある職業というのも変だし、人間をモノ扱いした用語も不思議である。 ...続きを見る |
2007/08/29 23:33 |
洋画や洋楽を崇拝してなじめなかったわたし
ずっと昔の日本には映画に洋画と邦画の区別があった。音楽も洋楽と邦楽の区別があった。この「洋」というのはアメリカと西欧に偏っていた。映画も音楽も東欧や中南米あるいはアジアが含まれるのはきわめてまれだった。わたしも邦画や邦楽より洋画や洋楽で育ってきたし、テレビ番組も同様である。でも、リズムにはなじめても意味のつかめない言葉をわかったふりをするのになじめず最近はほとんど見向きもしない。 ...続きを見る |
2007/08/26 23:56 |
マリー・アントワネッ卜だったら
久しぶりの仕事はきつい。陽光の直射に加えてアスファル卜道の照り返しで暑さが下からわいてくる。カンカン照りの昼の暑さもただごとでない。それにしても先週の猛暑記録更新日のイン夕ビューで道路のタイル貼りをしている人が「どうしようもないね」と淡々と作業を続けていたのを思い出した。畑の草とりに限らず暑いからといって放棄できない仕事もある。 ...続きを見る |
2007/08/20 21:58 |
花のことは花に問え
興味や関心が欠ける本を読むのは退屈である。でも、読み進むうちにそういう考えもあるのかとうなづくときもある。相模原市の当麻(たいま)山無量光寺や藤沢市の清浄光寺=遊行寺にかわわる一遍という武家生れの浄土僧が残した言葉にうなずくのも道楽三昧している自分に都合がいいからだろう。起こったことにコメントを求められて「花の事ははなにとへ、紫雲の事は紫雲にとへ、一遍はしらず」という突き放した応えに驚嘆する。似たような文句に北原白秋の「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花サク。ナニゴトノ不思議ナケレド」(薔薇(バラ))という思... ...続きを見る |
2007/08/15 18:46 |
ヌード写真で変態扱いはないだろう
瀬木慎一さんの『名画はなぜ心を打つか』(講談社文庫、2007年)を読み流した。西洋絵画では男女にかかわらず豊満で解放的な裸体がありきたりの題材なのに日本の絵画は明治以後でも女性は着衣姿が多いのが不思議である。立体的で曲線が多い彫刻的な西洋絵画に対して平面的で部分的なデッサンにとどまるのが日本絵画の特徴だろうか。芸術的なセンスは持ち合わせていないから断言はできない。ともあれ、日本の絵は美人画であって人体を描くことに力点が欠けるのではなかろうか。 ...続きを見る |
2007/08/09 00:55 |
「日本人」とひとくくりされても
日本人とひとくくりにされるのに戸惑うこのごろである。武士道を持ち出されてもどこの馬の骨ともわからぬ子孫には疎遠である。外国の映画に登場する黒ブチ丸メガネの日本人も極論だろう。歴史にしても支配層を中心に多様な日本人像が描かれるものの自分とのかかわりが薄い。単一民族に至っては素朴すぎて呆れるだけである。団塊世代をひとくくりにして多様な個人を見失う意見と似ている。タイトルにひかれて古本屋で手に入れた杉本良夫さんの『「日本人」をやめられますか』(朝日文庫、1996年)を読み流した。この方はアメリカに... ...続きを見る |
2007/08/05 20:40 |
目糞が鼻糞を笑う
夕イトルにつられて買ってきて読み始めたらムカついてほっぽり投げた本も多い。三浦展氏の『団塊世代の戦後史』(文春文庫、2007年)もそんな本だ。帯書は次のような勇ましい文句が並べられている。「団塊世代を理解せずして、曰本の戦後史も未来も語れない。既成の嘘臭い団塊世代論を打破すべく、圧倒的影響力を持った異民族を分析。数字のマジックを読み解き、保守性と革新性のニ面性を浮き彫りに。下流社会もフリーターも友達夫婦も全てはここから始った。」とある。 ...続きを見る |
2007/07/22 12:56 |
きだみのるとタやけ小やけの里
八王子市と藤野町を結ぶ陣馬街道には「夕やけ小やけの里」がある。今では上と下にわかれる恩方(おんかた)は童謡「夕やけ小やけ」の生まれた場所だ。ひなびた村でこれが東京かと何度も驚かされたが圏央道が開通し八王子西インターもできたからこれからは喧騒さが増すだろう。そこで思い出すのが変くつ老人のことだ。1975(昭和50)年に亡った「きだみのる」を覚えている人はいるだろうか。本名は山田吉彦。1895(明治28)年生まれの社会学者である。今では差別用語とされる「きちがい」や「部落」をタイトルにしたー般向け... ...続きを見る |
2007/07/14 11:55 |
中島みきゆの『ジャパニーズ・スマイル』に笑う
昨年秋の吉田拓郎とかぐや姫のつま恋コンサートでは無愛想に登場し、『永遠の嘘をついてくれ』を歌って去った中島みゆきを覚えているだろうか。いつもより厚化粧で無口をとおしたのがおかしかった。彼女の豪快で大胆な歌詞よりも写真映りの良さでユーミンよりなじんできた。でも、ひょうきんな語り手ではないかと思い直すこのごろである。 ...続きを見る |
2007/07/04 21:23 |
数字やグラフはウソつきである
最近は数字を並べてもっともらしい意見を並べるのが流行である。ひろさちやさんの『ウソの論理』(中公文庫、2006年)のプロローグに三種類のウソが出ている。ひとつは「ごく単純なウソ」であまり被害を与えない。二つ目は「相手をだますためのウソ」で、言っていることは正しくても相手の誤解を誘うウソだ。三つ目が「統計のウソ」だという。比較にならないものを数字を持ち出してひっかけるウソで、最もたちが悪いというのに思わず笑った。 ...続きを見る |
2007/06/14 22:29 |
源泉へのこだわりが伝わってくる本
風呂嫌いのわたしと異なり源泉へのこだわりを並べるのが石川理夫さんの『温泉法則』(集英社新書0215H、2003年)である。療養効果が欠け、温度を満たすだけの温泉で満足している利用者への皮肉もある。そういうこだわりにひき付けられるのもへそ曲がりだからかもしれない。 ...続きを見る |
2007/06/09 13:10 |
女性が男を眺める時代
女子寮の管理人が「たかがシャンプーでガタガタ言うなと思っていたら8,000円もすると言い出すので驚いた」と呆れていた。それほどの値段なら盗まれれば腹が立つのだろう。それを知合いの床屋の親父に話したら、10,000円以上するシャンプーが売れるという。増毛や発育の類でなく、ふつうの身だしなみに使われるそうだ。 ...続きを見る |
2007/06/05 22:37 |
浴場から見たイスラム文化
西欧を中心にした入浴の歴史(注1)を読んだついでに杉田英明さんの『浴場から見たイスラーム文化』(世界史リブレット18、山川出版社、1999年)を読み終えた。82頁の薄い冊子だが写真やイラストが豊富で先にあげた本より風俗や風呂の構造が具体的につかめる本だ。また、西欧よりも日本に似た入浴法であり、明治時代の日本人も親しみを感じた記録も紹介されている。 ...続きを見る |
2007/05/31 23:46 |
温泉は環境コーナーに入らないの
ヒマつぶしとご機嫌うかがいを兼ねて市内のスーパー銭湯めぐりをしている。郊外のパーラーや大型ショッピングセンターと似て駐車場にわずらわされない。楽しんでいて環境を論じるのも勝手すぎるが、こんなに増えて環境破壊にならないのかと思う。地下水の汲み上げはいずれ地盤沈下を生じ、循環水の処理を企業でまかないきれるのだろうか。 ...続きを見る |
2007/05/28 23:17 |
柴田南雄さんの「楽器への招待」
風呂についてあれこれ 調べているのでギターいじりはこのところ留守になっている。知っているようで知らないのが温泉や銭湯だが、聴いているわりに形や由来に無知なのが楽器だ。聴いて済ませてきた音楽にしてもどんな楽器なのかが気になるときもわたしにはあった。そこで思い出したのが柴田南雄(しばたみなお)さんの『楽器への招待』という小冊子である。 ...続きを見る |
2007/05/26 13:24 |
絵画に見る風呂
浮世絵には水浴や風呂あがりの女性がけっこう描かれている。髪の乱れを直すしぐさや団扇で扇ぐ姿が色っぽい。それは入浴場面の描写より壮快さがある。浮世絵は女性のうなじ(後ろ髪と首の境目)が色っぽく描かれている。湯あがりとは限らないが、風呂から出てきた女性の姿にはそんなほのかな色気がただよう。気になって辻惟雄さんの『日本美術の歴史』(東京大学出版会、2005年)や瀬木慎一さんの『日本美術読みとき事典』(里文出版、平成14年)を調べたが浮世絵にはそれほどページを割いていない。 ...続きを見る |
2007/05/15 00:13 |
数式の多い本に手を出す
音楽の解説書もあきたので久しぶりに数式の多い本を読んでいる。わからないことも多いが我慢して先に進むとなんとなくわかった気分になるのも不思議だ。でも、当たり前だと思い込んでいた概念の拡張は論理的にうなずいてもウサンくささがつきまとう。自然数、整数、有理数、実数と展開してルート記号のつく「無理数」に向かうとあれこれと感覚とのズレが伴う。これでi(アイ)という得体の知れない「虚数」がでてきたらお手上げである。 ...続きを見る |
2007/04/22 15:22 |
書かれた時代と過ごした時間 ☆「アグネス・ラムがいた時代」を読んで
むかしの音楽を振り返るために1960から80年代を10年単位ごとにまとめた本や雑誌を買い集めている。自分が過ごした時間はこんなものじゃなかったというズレがつきまとう。先日読んだ『アグネス・ラムがいた時代』(長友健二・長田美穂著、中公新書ラクレ、2007年)に掲載されている二人のアグネスの写真にしてもこんなものだったかという虚脱感と当時に漂ったオーラの違いがつきまとう。それは現在から過去を振り返った産物であり、書き手や編集者の思い入れや判断の産物だからだろう。 ...続きを見る |
2007/04/12 23:03 |
音楽図書リストを作って日が暮れた
弾くより読むほうが多いのがギター。寄り道ばかりして先に進まない。たまる一方の本や雑誌を整理しろと家族に批難されてしぶしぶ片付けた。いずれ捨てるからリストを作ろうと並べるとこれまた家族の批難が始める。しかたないから、パソコンに書名や著者を記入したついでに寸評を加えた。知らないうちに78冊もあるのには我ながら驚く。 ...続きを見る |
2007/04/07 23:34 |
音がしたところが起点ではない
先日から流し読みしている市川宇一郎さんの『リズムに強くなるための全ノウハウ(増補改訂版)』(中央アート出版社)は意外なことに気づかされる。日本の踊りの基本が盆踊りというのはすでに紹介したが(※)、ドラムを打つ前にスティックを振り上げる動作が伴うことを例にして日本人は音がしたところをリズムの起点と考える傾向があるというのにうなずいた。 ...続きを見る |
2007/04/06 21:32 |
ゲオルギュの「25時」という小説
古本屋を回っても見当たらないのが1967年に映画化されたコンスタン・ヴィルジル・ゲオルギュ原作の『25時』である。同じタイトルで別人が書いた小説も映画化されたから混乱する。映画はアンソニー・クイーンが主演だったがあいにくわたしは見ていない。同じ人物が多様な国籍者として迫害される物語で1949年に発表され、日本でも67年に文庫化(河盛好太郎訳、角川文庫)されてわたしは学生の頃に読んだ。ルーマニアの作家がパリで発表したものだから冷戦も反映してなにかと話題になった。 ...続きを見る |
2007/04/05 20:26 |
座り方で音の響きが違う
休日の昼間に椅子に座っていつもの曲を弾いていると娘が「今日の音はメリハリがあるね、どうしたの」と言い出した。違いといえば、平日の夜は大きな音を出せないから振り幅(ストローク)を短くしていることと畳に座って弾くことぐらいだ。 ...続きを見る |
2007/04/04 23:53 |
つくる・うむ・なる ☆興味が道楽に変わるとき
1年前に出雲地方に出向く必要があって歴史や地形を調べた。そのついでに出雲神話に興味がわいた。新婚旅行で立ち寄ったというだけしかわたしには関わりのない地域である。海に面した平地がどことなくひなびていて、山に囲まれた京都や奈良と違う地域だという実感しかない。日本最古の神話とされる「古事記」でも出雲は異質な場所として現れる。神が地上に降りた場所なのにいつのまにか大和政権に取り込まれるのも不思議である。 ...続きを見る |
2007/03/31 21:27 |
知識と知恵のバランス
専門分化の弊害が指摘され、「学際的協力」が唱えられた時代があった。経済社会の発展とともにマイナスも増大し日本の各地で公害が顕在化したころだった。わたしの学んだ経済学にも「社会的費用」や「外部不経済」の考えが持ち込まれ、独占や寡占の分析とは違う取り組みが模索されたがその後どのようになったかは知らない。でも、そういう時代の反映で哲学や文学だけでなく、物理や科学に寄り道してきた。 ...続きを見る |
2007/03/29 01:11 |
切り裂きジャックがいた時代
推理小説やミステリーをたまに読む。でも、臆病だから殺人事件は読み物にしても好きになれない。時代背景の描写の巧みさにひかれて仁賀克雄さんの『ロンドンの恐怖』(ハヤカワ文庫NF146、1988年)を一気に読み終えた。この本は、深夜に5人の娼婦が連続して惨殺される「切り裂きジャック」事件の研究書であり、それにかかわるミステリーの解説書でもある。 ...続きを見る |
2007/03/27 22:09 |
休符が無視できない
別宮貞徳(べっくさだのり)さんのちくま学芸文庫版『日本語のリズム 四拍子文化論』(筑摩書房・2005年)を先週から読んでいる。初出は1977年の講談社現代新書というが記憶にない。別宮さんは翻訳の日本語に何かと注文をつけられている方だ。「べっく」という名前が文句(もんく)に響く翻訳家もいるにちがいない。この本は「おたまじゃくし」が多数掲載される特異な日本語論である。ギターに手を出さなかったらきっと買わなかっただろう。 ...続きを見る |
2007/03/23 22:36 |
エッシャーの父は御雇い外国人だった
昨日(3月10日)のテレビ東京の『美の巨人たち』は版画家のM・C・エッシャー(1898ー1972)だった。奇抜な文様や奇想天外な構図の作品で楽しませてくれるオランダ人である。精密な絵柄は忍耐強さの反映だろうか。美などまったく関心がないと思っていた息子や娘が録画するのも意外である。だまし絵にひかれるのは親子で似ている。 ...続きを見る |
2007/03/11 12:54 |
何でも学問になる時代
最近はなんでも学問になるようである。本屋に出向けばマンガ学、路上観察学、失敗学、渋滞学といタイトルの本があふれている。確かにおもしろい内容である。外国の知識を持ち出して◯◯理論や□□メソドといわず、身近な経験をまとめて「△学」というのが軽いノリを感じさせる。でも、どうして「学」をつけるのだろう。 ...続きを見る |
2007/03/10 00:37 |
ゼロの割り算で邪念が増える ☆ 不能と不定
先日はピック病で怯えた。あわてて雑学本の『若返りたい! と思ったときに読む本』を眺めたらEDなるものが登場してとまどった。むかし愛用したクルマの名前を思い出したが性的不能を言い換えたようである。ボケや痴呆を認知症と言い換えるのと同じでよくわからない。不能という言葉は性的響きを伴い確かにズキンとくる。でも、ゼロの割り算に不能と不定が登場することも忘れてはなるまい。 ...続きを見る |
2007/03/07 22:55 |
異端が見直されて美化される
どこへ出向いても本屋に出向く。最近は音楽のコーナーに立ち寄ることが多くなった。最近は60年代、70年代、80年代とその時代を反映するバンドの特集も増えた。ハッピーエンドやYMOが見直され、メンバーだった大瀧詠一や細野晴臣の特集も組まれている。異端だった者がいつに間にか評価されるのもおもしろい。 ...続きを見る |
2007/03/05 23:47 |
音楽のベストセラーとロングセラー ☆ 絶対音感と音楽の基礎
コードの押さえ方やリズムの取り方などに触れたギターの実用書だけでは息がつまるので、最相葉月さんの『絶対音感』や芥川也寸志さんの『音楽の基礎』を読んでいる。今までのわたしなら避けて通ったジャンルだが、読むたびに音楽の深さにたじろぐ。寄り道のついでに紹介したい。 ...続きを見る |
2007/02/25 15:31 |
陰謀史観があふれている
ものごとを単純化し、善玉と悪玉のやりとりをおもしろおかしく描くのがマンガや物語の手法である。簡単で粗削りなものほどわかりやすくて受け入れやすい。プロパガンダといわれる政治宣伝もそれは同じである。そこに時間の流れを組み込み、◯◯だから□□という決めつけがつきまとう。 ...続きを見る |
2007/02/14 22:49 |
読むたびに疑問が増える音楽解説
譜面が読めないのが悔しくて「楽典」を並べ読みした。解説者の畑違いで用語が入り乱れているのもシャクである。そんなのは当たり前というのだろうか。ご存知の方にぜひ教えてください。 ...続きを見る |
2007/02/13 22:23 |
ギターを始めてから読書録を書けなくなった
通勤の行き帰りに本を読んでいてもそれをまとめる気がしなくなった。ギター関係の本も増えたが、オックスフォード大英辞典を作った変わり者の話、秘密結社を取り上げる陰謀史観の分析、論理や数学にかかわる雑学、そして譜面の読み方から作曲の仕方なども読んできた。紹介したい本もあるけれど誤解されかねないので避けている本も増えた。 ...続きを見る |
2007/02/11 03:46 |
満月に「こころぐく」
万葉集の「すばらしい月」は満月に限られるという。わざわざ三日月や有明の月でないと念押しがついている。恋人との出逢(あ)いは満月に歌われるようだ。逢えない悲しみも多いという。月が出るから出歩き、恋人とも逢えるという説明にうなずいた。こっそり隠れて逢うのが逢引(あいびき)だと思っていたのがウカツである。民俗学にかかわって「夜這い」に慣れた思い込みに苦笑した。 ...続きを見る |
2007/02/08 21:49 |
「音楽」は学者や専門家のためにあるの
ギターを始めてから本屋に出向くたびに音楽関係のコーナーに立ち寄る。どれも似たようなものだけど、音楽の基礎にかかる本はどうして堅苦しい教科書風になるのかと思う。なじみにくさに輪をかけるのが「音楽」だろうか。堅苦しくて煙たかった物理や数学、あるいは経済学や国語の本は読者に親しむ工夫をしているのに音楽は今も変わらないのが不思議である。 ...続きを見る |
2007/01/23 21:32 |
比較して読み進める
同じテーマをあれこれ比較するのがわたしの悪癖である。わかりやすい説明と意味不明な解説がつきまとうからだ。また、理解のレベルに応じてなじむこととなじまぬこともある。そういうわずかな違いを確かめて理解度を増し、関心が高まるのも読書の楽しみだろう。あれも調べましたこれも検討しましたという論文とは違い、多面的なアンテナを持って本に接することも大切にしたい。 ...続きを見る |
2007/01/18 22:31 |
薄い本が簡単とは限らない
せっかちだから入門書は薄いものを選ぶ。てっとり早く全体をつかみたいからだ。それでも読み切れないときがある。小説なら、昨年読み直した『楡家のひとびと』(2006/12/05ブログ掲載)のような上下2分冊の長編も耐えられるのに不思議である。 ...続きを見る |
2007/01/18 22:28 |
おとなの学習法は脂ぎったものじゃない
学生時代の友人には変わり者が多かった。教職過程をとって銀行員になったKもそのひとりだった。物静かな秀才タイプでゼミではめったに発言をしなかった男だ。卒論が、ゼミとまったくかかわらない西洋易学と東洋易学の比較というのに驚かされた。彼に言わせるとわたしは「四十のオンナ狂い」だという。でも、この占いは今も当たっていない。 ...続きを見る |
2007/01/15 22:49 |
音楽本はやけに敷居が高いんだな
興味があるものはまとめて集める悪癖で、先月から本屋めぐりをしてきた。新本、古本を問わず10店舗以上まわったがクラッシッ関係は置いていていても実用的なものが見当たらない。そのクラッシックにしても音楽史や名曲解説のほかは思い入ればかりである。値段だけでなく言いぐさもお高いのに今さらながら呆れた。美術に似てやけに敷居が高い。 ...続きを見る |
2007/01/12 00:25 |
40歳からピアノを始めた人もいる
ギターさえ四苦八苦しているのにピアノに関心を持って鮎川久雄さんの『40歳からのピアノ入門』(講談社+α新書、2005年)を読み終えた。わたしより年上の方だが子どもが習い始めたのを40の手習いでピアノを身につけたというのに惹かれた。「あなたにもできますよ」という悪魔のささやき本だけど破天荒な身につけかたがおもしろい。 ...続きを見る |
2007/01/10 01:45 |
絵の本をまとめて買い込む ☆エッシャーとクリムト
絵画の本は高いから買う気が起こらない。美術史の本でさえ3,000円前後する。売れないから高いのだろうか。安いというだけでTASCHEN社が発行している『M・C・エッシャー』1,500円と『クリムト』1,200円を買ってきた。もちろん日本語で書かれているから見るのも読むのも支障がない。 ...続きを見る |
2007/01/06 01:49 |
卍も漢字だったんだ
数年前に言葉の勢いで漢字検定を受験した。書き順や部首を間違えて冷汗をかいだ。かろうじて2級に合格したが口は災いの元である。せっかくだから1級を目指したらと家族にそそのかされたが試験勉強はこりごりだから聞こえないふりを通している。 ...続きを見る |
2006/12/08 22:06 |
楡家の人びと ☆ 愛読した本を読み直す
先日ふとした機会に若い頃に愛読した本のリストを作り寸評を加えてみた。それでも100冊程度の本を思い出し、最近はそれを読み直すことも多くなった。30年前に読んだ北杜夫の『楡家の人びと』(新潮文庫)を先週読み終えた。上下2分冊だから読むのに5日もかかるのもまどろこしかった。昔読んだときも意外に時間がかかった本である。親子三代にわたる物語で登場人物が多いから読み進むうちに何度も読み直したからだろう。また、精神病院をとりまく家族史だからなじみにくい面もある。 ...続きを見る |
2006/12/04 23:50 |
スパイのためのハンドブック
ジェームス・ボンドのスパイアクション映画を見て育った。敵地に潜入する情報工作員があんなに派手な行動をするのは自殺行為だろう。エジプトに潜入して捕らわれたイスラエルの元スパイが書いたという『スパイのためのハンドブック』(ウォルフガング・ロッツ著、朝河伸英訳、早川書房)を読み終えた。日本人の拉致やロシアの元スバイの不審死も取り沙汰されるものの笑いをかみしめ、うなづきながら読める本である。 ...続きを見る |
2006/12/03 23:24 |
つげ義春の「無能の人・日の戯れ」
1960年代に「ガロ」という漫画雑誌があった。マニア向けの雑誌で、少年マガジンや少年サンデーに比べるとそれほど人気もなかった。そこに掲載していたのが「つげ義春」だった。最近のマンガのような大げさなアクションはなく、私小説風の漫画であった。 ...続きを見る |
2006/12/03 00:56 |
渋々やっているんじゃなくて ☆ 高倉健の『旅の途中で』から
俳優の高倉健さんのエッセイ『旅の途中で』(新潮文庫、平成18年)を読んでいる。この本は1996年から2000年までニッポン放送で放送されたラジオ番組をもとに新しく書き下ろしたそうだ。この人は無口なイメージがつきまとうが『あなたに褒められたくて』や『南極のペンギン』という酒脱なエッセイも書いていてうなずかされるものがある。 ...続きを見る |
2006/11/27 23:55 |
エッシャーに魅せられた男たち
だまし絵の版画家として紹介されるオランダのM・C・Escher(1898-1972)にとりつかれた日本人のルポルタージュ『エッシャーに魅せられた男たち』(野地秩嘉著、知識の森文庫、光文社、2006年)を読み切った。副題は「一枚の絵が人生を変えた」である。いずれも絵画とは別世界で暮らしながらエッシャーの絵にひかれたというのに親近感を持った。 ...続きを見る |
2006/11/19 13:18 |
ムンクの「叫び」は自分を確かめるバロメーター
二ケ月前に『ムンクを追え!』(エドワード・ドルニック著、河野純治訳、光文社、2006年)というルポルタージュを読んだ。ムンクというのはひきつった骸骨顔と原色の赤でケバケバしく夕暮れどきの通り道を描いた「叫び」で知られるノルウェイの画家である。ルポは盗まれた彼の作品を追うおとり捜査官の国をまたいだ活躍を描いている。 ...続きを見る |
2006/11/17 21:56 |
アリスとキャロルの二重性
あらかじめお断りしておくとアリスやキャロルというのフォークやロックのバンド名ではありません。また、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロル(男性の数学者)でもありません。ごくありふれた女の子の名前です。 ...続きを見る |
2006/11/11 13:15 |
アメリカの企業再生 ☆ 戦略的倒産
日本では民事再生法や会社更生法などを申し立てるには企業が「支払不能」や「債務超過」に陥っている必要がある。でも、アメリカ連邦倒産法第11章(チャプターイレブン)では申し立ての要件が何も要求されていないため「資産超過」でも可能だという。つまり、経営に行きずまっていなくても企業を意図的に倒産させて、組合との協約を反古にしたり損害賠償の支払を回避する「戦略的倒産」の事例もあるようだ。 . |