太陽も死もじっと見つめることはできない

 ユーモアやウィットに縁がない朴念仁(ぼくねんじん)ですからどうでもよい格言や教訓を持ち出して煙たがれます。守ったためしがないから顔がひきつってすぐにバレます。それなら大ボラを吹いてやれと『ラ・ロシュフコー箴言集(しんげんしゆう)』(ニ宮フサ訳、岩波文庫)を読み流しました。今回のタイトルにした26番の「太陽も死もじっと見つめることはできない」はそのひとつです。太陽を直視すれば失明しますし、まともに考えたくないのが死というものでしょう。いずれも避けられないものです。

 箴言というのは、いましめとなる短い句のことです。要は格言ですね。作者は17世紀フランスの名門貴族で、この本はモラリスト文学の最高傑作だそうです。訳者のあとがきによればルソーからサルトルに至る後世の高名な読者に反発、怒り、いらだちを感じさせ槍玉にあげられたようです。といっても、孔子の『論語』の押しつけがましさやA・ビアスの『悪魔の辞典』の皮肉とは異なって、読んで思わず吹き出す内容です。

 ところで、じっと見つめたばかりに痴漢や狂人扱いされるのも心外です。見たくもないものはさっと目をそむけても、美しいものにひかれてしまうのは正常な反応でしょう。心にやましいものがあるのでなく、美に対する人間の条件反射だとわたしは思います。この箴言集497の「若くても美しくなければ何にもならないし、美しくても若くなければ何にもならない」というのは極論でしょう。
 そして、408の「かって美しく愛らしかった老婦人が陥る最も危険な滑稽さは、自分がもはやそうではないことを忘れてしまうことである。」や222の「そろそろ下り坂という年齢(とし)で、その肉体と精神の衰えがどこから始まるかを、はたに悟らせない人はめったにいない。」も否定できません。

 といっても、312の「恋人どうしがいっしょにいて少しも飽きないのは、ずっと自分のことばかり話しているからである。」や71の「愛し合わなくなった時に、愛し合ったことを恥ずかしく思わない人は、めったにいない。」というのに思わずうなづく始末です。
 175の「変らぬ愛とは一種の絶え間ない心変りである。つまりわれわれの心が、愛する人の持っているすべての美点に、ある時はここが好き、ある時はあそこが好きというふうに、次々と惚れこんでゆくのである。だからこの変らぬ心は、同じ一人の相手に局限され、その人の中だけに閉じこめられた心変わりにほかならないのである。」と言い出されるとどきっとさせられます。

 どうでも良いことを並べてきました。こんな余計なことをするのは93の「年寄りは、悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を乗れたがる。」裏返しでしょう。109にも「若者は血気に逸って(はやって)好みを変え、老人は惰性で好みを墨守する。」と煙むたい文句もあります。わたくしごとになりますが、《自分も妻もじっと見ることはできない》現実におびえています。


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