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臼井隆一郎さんの『コーヒーが廻り世界が廻る』(中公新書1095、1992年)には、コーヒーハウスとイスラムの公共浴場やローマの共同浴場との比較があったり、ボブ・ディランの唄や黒田三郎の詩まで出てきて幅広い話題に驚かされる。テーマはコーヒーをとりまく歴史だが、廻り廻るというタイトルのようにあちこち展開する。ボブ・ディランの『ワン・モア・カップ・オブ・コフィ』が第2章と終章に飛び出すのも親しみがわいた。 ディランの唄には次のようなフレーズがあるという。 コーヒーをもう一杯、道のために。 コーヒーをもう一杯、下方の谷間へと、ぼくが出発する前に “ONE MORE CUP OF COFFEE(VALLEY BELOW)”作詞・作曲、ボブ・ディラン 臼井さんはディランの本名〔ロバート・アレン・ジンマーマン〕まで持ち出して、イエメンのコーヒーを商ったユダヤ商人の末裔にも《「嘆きの壁」を前にした祈りのような旋律に乗せなければ気がすまない何かが流れ続けているかのようである》P43と力を入れている。わたしもディランの『風に吹かれて』を口ずさんだがここまで徹底できない。ちなみに、ディランは米国ミネソタのユダヤ商人の息子だそうだ。『風に吹かれて』といえば五木寛之のエッセイや吉田拓郎の唄を想い出すのも恥ずかしい。 終章では詩人の清岡卓行さんを持ち出して、ドフトエフスキーの「俺に今一杯のコーヒーが飲めたら世界がどうなっても構わぬ」という言葉も紹介している。この人は『抒情の最前線』でわたしに黒田三郎の詩を紹介してくれただけでなく、叔父や叔母が過ごした土地を思い出させる『アカシアの大連』という小説もある。おまけに吉本隆明の詩まで出てくるとコーヒーは恐ろしい飲み物だと腰がひけてきた。終章のタイトルは「黒い洪水」だから臼井さんは思いのたけをさらしたのだろうか。 ともあれ酒は飲めなくなってもタバコとコーヒーを欠かした生活など思いよらぬことだ。起きがけの一杯、息抜きの一杯、だんらんの一杯、思いをまとめる一杯などなど続く。世界がどうなっても構まわないけれど出発前の一服と一杯は確かに欠かせないものである。余談になりますが、フリー百科事典のウィキペディアの《コーヒー》には「コーヒーを題材にした楽曲」というのがあって、奥田民生、ゆず、ミスターチルドレン、高田渡などが歌っているには驚きました。 【参考】 1 他人のサイトを勝手に持ち出して申し訳ないが、持ち出したディランの歌を画像付きで紹介されているサイトがあります。関心のあるかたは確かめてください。 『ワン・モア・カップ・オブ・コーヒー』【英語歌詞対訳】ボブディラン http://www.sacrako.jp/asset/UTA/onemorecup.html 2 黒田三郎ほかの詩人についてはわたしのホームページの「30男のつぶやき」や「よりみち」でふれています。http://www5f.biglobe.ne.jp/~nobu-yamada/ |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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♪いつも楽しく拝見させていただいてます。 |
@katsu 2008/04/11 21:19 |
「コーヒー」を書いた本人です。書いた側の思いがはじめて伝わった思いがしました、とエラそうに。詩ってやっぱりいいなと感じ入っています。感謝します。 |
いたち川のホタル 2008/06/18 13:25 |
驚きました。本の内容を紹介せず詩や音楽のことばかり並べて失礼しました。ヂラディランにしろ黒田三郎ほかの詩人が多数取り上げられているのに感激しました。コーヒーを扱った本でこれほど楽しめた内容はほかに見当たりません。ありがとうございます。 |
道楽親父 2008/06/19 00:10 |
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